大学新入生に薦める101冊の本

大学新入生に薦める101冊の本

  • うちの学部の「101冊の本」プロジェクトが作成した本が出来上がりました。僕も2本書評を書き、その他、編集の過程でいろいろと働かせてもらいました。僕が書いたのは、モノーの『偶然と必然』、ワールドロップの『複雑系』の書評。この本の中心的コンセプトは「文理融合」なのですが、それにふさわしい本を2冊書かせていただきました。(多少、編集長の手が入っているので完全に僕の文章ではありませんが、95%くらいは僕の文です。)

岩波書店の紹介ページ

偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ

偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

  • まあ細かい部分についてはいろいろと不満もありますが(文章がおかしいと指摘したところが直っていないとか)、物事に完璧はありえないし、全体としてはよくできていると思います。編集長の難波先生の努力と腕力の賜物でしょう。
  • 実はもう1本、中村禎里の『日本のルイセンコ論争』の書評も書いたのですが、ボツになりました(笑)。(まあ僕の原稿だけでなく、かなりの原稿がボツになっているのですが。)そうだ、せっかく書いたものが埋もれてしまうのもしゃくなので、没原稿をここに載せておきましょう。この本も「文理融合」という観点からみれば、ある意味で非常に重要な教訓を含む本だと思います。

日本のルィセンコ論争 (みすずライブラリー)

日本のルィセンコ論争 (みすずライブラリー)

 ルィセンコ事件は生物学、いや自然科学の歴史の中でも、最大のスキャンダルの一つである。1930年代から50年代にかけてソビエト連邦に発したルィセンコ学説は、獲得形質の遺伝を唱えるなど、正統派のメンデル・モルガン遺伝学と対立し、論争を巻きおこした。ルィセンコ説が学問的に誤りだったことは後に明らかになったが、問題は学説の当否よりもむしろ、ルィセンコ説がスターリンソ連共産党のお墨付きを得て、生物学上の論争を逸脱したイデオロギー的、政治的な論争として展開されていったことにある。ソ連では反対派の弾圧という野蛮な事態まで引きおこし、単なる科学論争にとどまらない政治的事件に拡大していった。日本でも多くの生物学者、文化人がルィセンコ論争に関わり、日本の生物学に大きなダメージを残した。本書は日本における論争史を、日本へのルィセンコ説の紹介から、ルィセンコ説が支持を広げていく過程、ルィセンコ説の農業への応用、そしてルィセンコ説の失墜まで、多くの資料にもとづいて明らかにしている。
 当時の日本でルィセンコ説の支持に回ったのは、学問的には著者が言うところの「理論ごのみ」、つまり科学方法論、哲学、生命論といった方面に強い関心をもっていた人々、実践的には農民の中で農民のための生物学を実践しようとしていた人々、政治的にはマルクス主義の影響下にあった人々であった。当時の社会状況をみれば、冷戦の渦中、日本でも政治的な対立が先鋭化し、政治的な立場を明らかにすることを知識人の責任と考えた科学者も多かった。農民の多くは貧しく、新しい有効な農業技術が必要とされており、農民のための生物学をという思い自体は否定されるべきものではなかっただろう。また純粋に学問的にみても、当時の正統派遺伝学は必ずしも十分に進歩していたとはいえず、ルィセンコ派からの批判にも多少の理はあったとも言える。しかしそれらの事情を考慮してもなお、かれらは重大な誤りを犯したと言わざるをえない。ではどこで? 本書は当時の論争を丁寧にたどりながら、かれらが陥った誤りを明らかにしていく。科学上の論争に弁証法とか階級的観点というような科学とは無関係のイデオロギー論争が持ち込まれたこと。実験の軽視。ソ連スターリンの権威への追従と、それを笠に着た反対者への攻撃。生物学は農業生産に役立たなければ無意味だし、学説の正否は農業の現場でこそ実証されるという極端な実用主義など。このように当時の論争を批判していく著者もまた、当時まだ若かったとはいえ、論争の中にあった人であった。自己や知人への批判をも含む内容を、感情に流されず、できるだけ公平に、しかし容赦なく書き綴った努力は敬意に値する。科学について考えるための材料を豊富に含む本である。

著者とその時代背景
中村禎里(1932年〜)はルィセンコ説が隆盛だった時代に東京都立大学理学部で生物学を学び、自らも学生の立場からルィセンコ論争に関わる。その後科学史に転じ、大学院学生だった1962〜3年にかけて本書のもとになる原稿を執筆した。著者はその出版を望んだが2つの出版社に断られたため、タイプ印刷で自費出版する。これが書評などで取り上げられて話題となり、1967年、あらためてみすず書房より「ルィセンコ論争」の題で出版された。1997年、タイプ印刷時のタイトル「日本のルィセンコ論争」に戻して再刊。その他の著作として「生物学と社会」(1970)、「生物学を創った人びと」(1974)、「危機に立つ科学者」(1976)、「日本人の動物観」(1984)、「狸とその世界」(1990)、「河童の日本史」(1996)、「狐の日本史 古代・中世篇」(2001)、「狐の日本史 近世・近代篇」(2003)などがある。